


カクイチNEWS >> お客様の声
南相馬市は、太平洋沿岸北部に位置し、震災時、津波が海岸線から約二キロ付近までの地域を飲み込みました。
更に、福島第一原子力発電所の事故を受け、一部地域は、避難指示区域となっております。福島県南相馬市を訪れたのは7月11日(月)。震災から4ヶ月が経過した今、南相馬市に住む顧客様を訪ねました。
津波が近づく中、何よりも大事な農機具の事が一番心配だったそうです。
「津波によって田畑が壊滅的な被害を受けたけど、倉庫に入れていた農機具やトラックは全て無事。残念ながら今年は米を作れないけれど来年は頑張るっぺよ!!」
地震発生直後は、小学校の卒業式を終えたばかりのお孫さんと友達が家に遊びに来ていました。沿岸部に近い小学校で後30分、卒業式が長かったら多くの子どもたちが犠牲になっていたかも。家族と孫の友達家族15人が数日間、倉庫(写真左)で過ごしました。
「あの時は、本当に助かったよ」
福島県相馬郡新地町で、金属製品加工業を営む㈲相馬ブレードは、東日本大震災の津波被害で工場が流失。従業員にも犠牲者が出ました。藤田社長は悲しみを乗り越えて事業再開を決断。「従業員の生活の安定と得意先の為にも一時でも早く操業を再開させる。復興は時間との競争だ。」と準備の為に奔走しました。町の支援を得て新たな工場用地を確保し、一ヶ月後には工事着工、二ヶ月後には見事に操業を再スタート。従業員を新たに6名雇用し新しい航海へと船出しました。
「企業として赤字になろうが、二年後に従業員が仮設住宅を出る時には、しっかりとした生活が出来るように考えている。皆の為が会社の為になる。これは私の自慢ですが、うちの従業員は皆、優秀なんですよ。」と従業員のことを第一に考える藤田社長。「物事を成し遂げる人は1の可能性に懸けてやるんです。やらない人は99のやれない理由を並べ立てるんですよ。10年前に工場をつくったんですが、10年前にタイムスリップしたと思えばいいんです。」と初心に戻り、従業員とともに力強く明るい未来を想い描いています。