日本農業を憂える会

日本農業を憂える会

3月14日から15日かけて、「日本農業を憂える会」で会津若松の東山温泉に行った。たいそうな名前がついている会だが、実は、この会は山形県川西町の農家の友人たちと年1回温泉に行き、日本農業について酒を飲みながらグウタラもの物申す集まりなのだ。

宮古そば「とのや」

当日、11:04着の「つばさ129号」で米沢に行き、米沢駅で仲間にピックアップしてもらった。車に乗ったとたんに、後ろの席の長老のMさんが『菊水ふなぐち』を差し入れてくれた。運転のSさんには悪いが、早速、再開を祝い「乾杯」、この生原酒『 菊水ふなぐち』はアルコール度数19度と高いけれど味が濃く旨い酒だ。
車は、まずは、喜多方の宮古そば「とのや」に向かった。この地域は今から40年ほど前に地区全体で蕎麦を柱とした地域おこしを始め、全戸数30戸のうち8戸が客間座敷を解放した「農家食堂」を営んでいる。この蕎麦のおかげで、宮古集落は過疎にもならずに存続しているのだ。「とのや」で1500円のコースを注文した。蕎麦とさしみこんにゃく、山菜、そサービスで漬物が付いた。水そば、塩そば、そして、つゆ蕎麦と楽しんだ。

日本農業を憂える会

「とのや」で一杯と考えたが、夜の宴会に備え「酒」は我慢し、早めに東山温泉に向かった。東山温泉に着くと、早速、浴衣に着替え、ゆっくりと、温泉に浸かった。時間が早かったせいか、大浴場には、我々の他に人が少なくノンビリと湯あみを楽しんだ。部屋に戻りビールで乾杯し、その流れで宴会に突入、「日本農業を憂える会」が始まった。
今年77歳になるMさんと68歳のHさんの話によれば、山形の川西地域は養蚕が中心だったそうだ。日本の多くの農村は、昭和30年代までは桑+稲作が主体で、その後、養蚕は衰退したのだ。また、この地域は、昭和40年代初めころまでは、田植えと収穫は、手植え・手刈りだった。その後、バインダーが農村にはいり、次に、田植え機と徐々に機械化が進んでいった。

現代の農業機械―部品を注文していないのに発注?

「そう言えばこの前、トラクターが壊れたら頼んでもしないのに、故障した基盤ボードを発注しましたとメーカーから連絡が来た」とM長老。
「えっ、注文もしないのに」
「そうだよ、稲田さん。ITが進んで部品が壊れたら自動でメーカーの担当部署に届くのさ」
と、横で飲んでいたHさん、
「今の農機具は、余計なものが多すぎるだよ。それも、すべてコンピューター制御だから、機械がちょっと壊れても、自分じゃ直しようがないんだよ」
「うん、昔は、ある程度、自分で修理することができたのにな」
「自分で農機具の修理が出来ない農家は一人前の農家じゃないって雰囲気だったな。今は、そんなことはありえないな」
「そうだよ、農機具メーカーが儲かる仕組みになっているんだよ」
「だからさっき、Hが言っていたように、必要としない機能ばかりついていて、機械の価格が高いんだよな」
「どうも、国は、機械メーカーを暗黙的にサポートしている感じだな」
「今時、20馬力から30馬力のトラクターは本体で300万から500万、アタッチメントいれるともっとかかるからな、おまけの田植え機やコンバインをいれると軽く1000万はかかるからな、これじゃ、今の米価じゃ採算はとれるわけないよな」

百姓は生かさず殺さず

「そうだよな。全国の平均価格で見れば、政府買い入れ価格があった昭和50年ころは16,000から17,000円、確か、昭和60年には18,668円をピークに下がり続け、政府買い入れが無くなりコメがほぼ自由化になった2004年以降は自主流通米の15,203円から徐々に下がり続け、2015年には10,000円を切った時があった」と稲田。
「俺たちみたいな貧乏百姓は、儲けがなくても文句を言いながらコメを作っているけど、ビジネスとしてコメを作っている会社は経営が厳しいさ」
「そうだよ、国の補助金でどうにか食いつないでいるからな」
「ところで、Mさんはコメを作って何年になるの」
「俺んちは、俺で13代目、俺は長男だったから、18歳で家を継いでコメつくりを始めた。当初は約3haの自作農からスタートした」
「子供が大きくなると金がかかるでしょ」
「そうだ、その頃は、コメ通リの他に年間200日にくらい建築現場で働いていたな。まあ、3から4haのコメつくりの貧しき百姓はそんなところさ」

この話を聞いて、「百姓は生かさず殺さず」との江戸時代の言葉を思い出した。この言葉は、確か、江戸時代の「百姓は、天下の根本なり。是を治める法あり。(中略)百姓は、財の余らぬように、不足なきように治むる事、道なり」からきたらしい。
現代のコメ農家も、基本は江戸時代と同じだと思った。だからこそ、国は家族農業よりも法人経営の大規模農業を進めたいと考えているのだが、Mさんたちの川西地域では、今でも、農業をしている法人経営は、あまり儲からなから、1社か2社しかないとの事だった。

酒の酔いとともに夜が更けていった。Mさんは、
「朝早くから、真面目に農作業をやった時は、夕方、ホットできる。そして、晩酌の酒がうまい」
とのMさんの言葉の中に農民の本心を聞いた気がした。

 

【プロフィール】
稲田宗一郎(いなだ そういちろう)
千葉県生まれ。小説『夕焼け雲』が2015年内田康夫ミステリー大賞、および、小説『したたかな奴』が第15回湯河原文学賞に入選し、小説家としての活動を始める。2016年ルーラル小説『撤退田圃』、2017年ポリティカル小説『したたかな奴』を月刊誌へ連載。小説『錯覚の権力者たちー狙われた農協』、『浮島のオアシス』、『A Stairway to a Dream』、『やさしさの行方』、『防人の詩』他多数発表。2020年から「林に棲む」のエッセイを稲田宗一郎公式HP(http://www.inadasoichiro.com/)で開始する。

 

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