田植えとゆいレール

田植えとゆいレール

先日、僕が少年時代を過ごした千葉県のある町に行った。子供の頃に世話をしてくれた婆やの見舞いに行ったのだ。その帰りに近くの江戸川べりを散歩したのだが、ちょうど、田植えをしている光景に出会った。土手に座りしばらく田植えの景色を見ていたが、ふと、学生時代に経験した田植えを思い出した。

北会津村の農家出身だった友人が、田植えの手伝いで田舎に帰る時に、
「稲田、お前も、田植えの手伝いにくるか?」
と僕を誘ったのだ。

<当時は、ちょうど、田植え機が普及し始めてきた時期で、田植えや収穫時期には、農家出身の学生は田舎に帰って作業を手伝う習慣がまだ残っていた>

―北会津村の田植えは、まだ、手植えだったー

苗を左手に持って田んぼに入り、3本の指で器用に苗を植えていくのだ。1列目が終わると後ろに進む。その時、僕は、なるほどと思った。なぜかと言えば、前に進みながら田植えをすると、田植えをしたところに足がはいってしまい、植えた苗をつぶしてしまうからだ。こう書くと全く当たり前の理屈だが、当時は、なぜか、多いに納得した。手持の苗がなくなると、おばさん達が畦から苗の束を投げてくれる。

―驚くことに、苗の束は手をだせば届くところに届く―

田植えが終わると、関係者全員が、田植えを頼んだ農家に集まり、天ぷらや煮物なので一杯やるのだ。この風習は「結い」と呼ばれ、小さな集落単位で、田植えや稲刈りなどの共同作業を行うのである。1つの家で田植えをやるとなると多大な時間がかかる。また、その作業を人に頼めば多くのお金がかかる。そこで、村人たちは、各家の労働力を相互に提供しあって作業を行う、こうすれば、無駄な出費がかからないわけである。その代わりに主催者の農家は、作業が終わると食事をふるまうのだ。

僕が手伝った北会津村の田植えもそうだった。田植えが終わると、作業に参加した集落の人たちは、僕の友人の家に集まり、地酒で「差しつ差されつ」の宴会になるのだ。

僕みたいな部外者が、それも、都会の若者が田植えをしているのが珍しいのか、
「まあ、学生さん、一杯やれ」
・・・・て感じで、
名前も顔も知らない集落の人から酒をつがれる。おまけに、酒が入ると、会津弁になるので、意味が分からないのだ。
「学生さんは、Tの大学の友だちか、もう、一杯どうだ?」
と酒を注がれる。

挙げ句の果ては、小型のテーラー(耕運機)に乗り農道を走っていた時に、農道の端が草で覆われていて道がないのに気付かず、テーラーごと田んぼに落ちた僕を見ていた農家のおじさんが、
「テーラーが落ちた田んぼの収量が減ったら、学生さんの責任だわ」
などとイジる始末だ。

<僕は、ひたすら恐縮して、注がれるままに「頂きます」と盃を受けるのだ>

大学を卒業し、かなりの時がたち、再び、北会津村の友人を訪れた時だった。その晩、近所の人が集まり小さな宴会になった。その時、かつての田植えで一杯やった農家さんが、
「稲田さんは、あの時テーラーを落とした学生さんか?立派になったもんだ。皆で集まって一杯やる度に、テーラーを落とした学生さんはどうしてるかなって、よく話にでるんだ。稲田さんは、ここらでは有名人だよ」
と懐かしそうに言った。

―僕は妙に嬉しかったー

「結い」では、当然、田植えがうまい者や下手な者もいる、また、ウマが合う人もいれば合わない人もいる。しかし、そんな小さな集まりの中でも、何とか自分と相手を合わせようとするのだ。それがムラで暮らしていく「知恵」なのだ。

<そこには、良い意味も悪い意味も含めた人のぬくもりがあった>
と書いていたら・・・・・・・・

那覇に「ゆいレール」と言う名前のモノレールがあり、「ゆいレール」の「ゆい」は、沖縄の方言で「助け合う」、「一緒にがんばろう」という意味で、農村に有った「結い」に通じていることに気が付いた。
内地の人たちの多くは沖縄が大好きである。僕の友人も例外ではなく大の沖縄好きだ。いつだったか、彼らに、なぜ、沖縄がいいんだと聞いたことがあった。

「だって、稲田さん、青い海はもちろんだけど、沖縄に行くと本島でも離島でも沖縄の人は気さくで、居酒屋に入ると、まあ一杯どうだって泡盛を勧めてくれる。他人に優しいっていうか、人のぬくもりを感じるって言うか・・・・なんだか気持ちがホットするのです」
と答えてくれた。

・・・って事は、旅人が沖縄で感じるホットした気持ちは、現在の社会や会社で日々直面する面倒な人間関係の裏側に潜んでいる人とのぬくもりを、僕たちは無意識のうちに求めているのではないだろうか?

時代は変わり、今は、デジタルの時代だ。Webミーティングでは、自分の主張をいかに相手にわからせるかが重要になっており、「結い」の「他有自無」ではなく「自有他無」なのだ。現代の人々は、会社でも地域でも、できるだけ他人との関わりを少なくする空間を好むのだ。
そう考えると、今では日常の風景になっている電車の中で、ひたすら一人でスマホの画面を見ている老若男女の姿は、多くの人たちが沖縄で感じる心の深いところにある「ゆいまーる」とは真逆なのではないのかと思った。

 

 

【プロフィール】
稲田宗一郎(いなだ そういちろう)
千葉県生まれ。小説『夕焼け雲』が2015年内田康夫ミステリー大賞、および、小説『したたかな奴』が第15回湯河原文学賞に入選し、小説家としての活動を始める。2016年ルーラル小説『撤退田圃』、2017年ポリティカル小説『したたかな奴』を月刊誌へ連載。小説『錯覚の権力者たちー狙われた農協』、『浮島のオアシス』、『A Stairway to a Dream』、『やさしさの行方』、『防人の詩』他多数発表。2020年から「林に棲む」のエッセイを稲田宗一郎公式HP(http://www.inadasoichiro.com/)で開始する。

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