農の風景の原点を訪ねて

農の風景の原点を訪ねて

農業センサスによれば、我が国の農業経営体数は平成22年の1,679,000戸から令和2年への1,028,000戸へ、販売農家数は平成22年の1,631,000戸から令和2年の1,028,000戸へと大きく減少している。また、経営規模別にみると100ha以上の農業経営体割合は令和2年でわずか0.19%(表-1)、農業経営体のうち法人経営体は2.86%に過ぎず(表-2)、日本農業は依然として、家族を中心とした農業経営体が中心であることが分かる。

表-1 経営規模別割合

資料:農業センサス

表-2

資料:農業センサス

一方、世界的な人口増加等による食料争奪が激化し、また、食料安全保障上のリスクが高まる中で、国内での持続可能な食料供給基盤の確立を図る必要が生じている。これを受けて、令和5年6月に農林水産省が公表した「食料・農業・農村政策の新たな展開方向参考資料集」を読むと、将来の食料供給基盤の確立のために、今までの基本法を見直し、食料・農業・農村政策の新たな4本柱(食料安全保障の強化、農林水産物・食品の輸出促進、農林水産業のグリーン化、スマート農業)を示している。農林水産業のグリーン化では、環境負荷低減等、新たに持続可能な農業を主流化にする方向で、スマート農業では、農業従事者が減少する中でも食料供給基盤が維持できるような生産性の高い農業の確立を挙げている。
しかし、この新たな4本柱と食料・農業・農村の現場の間には、大きな隔たり、いや、大きなミスマッチが存在しているように感じる。そのミスマッチは、農業の定義が都会の官僚たちと地方の農家とは全く異なっているとこらから来ていると思えるのだ。
コーリン・クラークの産業分類を単純に整理すれば、第一次産業は農林水産業、第二次産業は工業、第三次産業は商業となっている。ところが、農水省の政策の基本的な方向は、農業の大規模化、企業化、法人化ととらえることができる。さらに、それを実現するためには、第一次産業の農業を利潤の極大を目的とする企業、つまり、第二次産業の工業、第三次産業の商業にすることが必要であるとしているのである。しかし、農村・農業の現場を頻繁に歩いている筆者から見ると、現存している農業、それを実践している農家には、それぞれの家の事情、集落の事情があり、その現実を示しているのが、表-1の10a未満の割合が94.6%なのである。「存在するものは合理的である」という言葉がある、いや、「存在するものは、多少、不合理であっても存在する」と言った方が適切かもしれない。この現実は、都会に住む官僚や企業経営者や政治家が理想とする社会・経済活動の根本原理―利潤極大化を目標とする市場原理―が、そのままの形で、地方の農業・農村社会にも応用・展開できるとは限らない事を示している。
さらに言えば、日本経済そのものが停滞している中で、国民の多くは「過去の栄光を再び」と言うドンキ・ホーテ的な「見果てぬ夢」を諦めきれず、人間本来の汗を流す労働は大変だから、より効率的に、楽に、利益が獲得できる社会システムの構築を目指しているのだ。

市場原理を柱としたこの理想的な社会システムが、必ずしも成立しない農業・農村社会で暮らしている人々にとっては、前述した国が指導する「食料・農業・農村政策の4本柱」は、自分達とは別の社会、別の世界の物語のように映るのではないのだろうか?

今回から、数回にわたり、現在、地方で農業に従事している専業的農家を訪ね、この筆者の感じる「国の提案する農業と現実に実践している農業とのミスマッチ」について、「日本の農業とは?」、「なぜ、農業を仕事にしているのか?」と言った基本的なテーマで、自由に議論したいと考えている。

資料:農林水産省

 

 

【プロフィール】
稲田宗一郎(いなだ そういちろう)
千葉県生まれ。小説『夕焼け雲』が2015年内田康夫ミステリー大賞、および、小説『したたかな奴』が第15回湯河原文学賞に入選し、小説家としての活動を始める。2016年ルーラル小説『撤退田圃』、2017年ポリティカル小説『したたかな奴』を月刊誌へ連載。小説『錯覚の権力者たちー狙われた農協』、『浮島のオアシス』、『A Stairway to a Dream』、『やさしさの行方』、『防人の詩』他多数発表。2020年から「林に棲む」のエッセイを稲田宗一郎公式HP(http://www.inadasoichiro.com/)で開始する。

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