農業の神秘

農業の神秘

JA経営実務というJA役職員向けの月刊誌で「農業におけるNB水の科学的根拠を求めて―東京農業大学と㈱カクイチの挑戦―」の記事を読みました。

『オッカムの剃刀』の言う言葉があります。この言葉は、ある事象を説明するための理論は単純な方がよいという考え方で、このナノバブル水(以下、NB水と表記)の記事を読むまでは、僕はこの『オッカムの剃刀』は科学的分析の基本であり、たとえば、NB水で栽培した植物の成長が早いという事象があったとすれば、「NB水の効果だ」とする、きわめて単純なロジカルだということです。

今回の記事は、僕がかなりの確率で信じていた『オッカムの剃刀』が当てはまらないものが身近な自然界には存在することを教えてくれたのです。

まず、NB水について説明しましょう。NB水とは、直径1μm未満の気泡の事で、単純に言えば、非常に小さな酸素の泡が入った水のことです。素人の僕は、NB水には非常に多くの酸素が含まれているから固い土壌に溶けやすく根にも入りやすいために、根の生育を促す効果があるのでは?と考えていました。確かに、ネットなので調べるとNB水は、品質を向上させるとか、根を太くするとかの報告はありますが、その要因は何なのかを土壌学や分子生物学の観点から解明したチャレンジした研究は少なかったようです。

今回の記事では、東京農大の土壌肥料学と微生物学の先生方との共同研究の一部が紹介されていました。土壌肥料学の加藤先生の研究では、NB水と精製水を用いて,土壌肥料学研究室が保有する様々な種類の農耕地土壌試料(約30種類)を用いて金属イオンの吸着量を測定したそうです。金属イオンの吸着量とは、カリウムやマグネシウムなどの土壌養分が植物においてどの程度利用されるのかを示すものです。

実験の結果、精製水に比べてNB水を含んだ土壌においては、K(カリウム)・Mg(マグネシウム)・Ca(カルシウム)の吸着量が多いとの結果でたそうです。図はAl(アルミニウム)の吸着性を沖積土群(右側)と黒ボクド群(左側)に分けて示したものです。

この図から、Alの吸着性は、右側の沖積土群は左側の黒ボクド群に比べて、45度線より上にあるサンプル土壌が多い事から、精製水よりもNB水を含んだ土壌において吸着量が多いことが確認されました。言い換えれば、NB水を含んだ沖積土壌においては、ALの土壌養分の可給性向上に効果はあることになります。

この分析をした加藤先生にヒアリングしたところ、NB水の本質はナノサイズの分子状酸素が溶存していることから、土壌中の養分を吸着する性質が高まるとの仮説を立てそうです。ところが、実際の農家の土壌をサンプルとした分析では、必ずしも多くの土壌養分でこの仮説が証明されなかったそうです。ただし,土壌中のFeに関しては,3年間の研究を通じて影響があることが示されたので、NB水とFe(鉄)の間には何等かの関係があるらしいことは分かったそうです。

次に、NB水処理により成長促進・収量増加した植物の根圏細菌の解析を行った山本先生の研究を紹介しましょう。この研究では、NB水を用いることにより成長促進・収量増加が認められた植物の根圏土壌とバルク土壌の細菌叢の微生物の数を推定したそうです。根圏土壌とは植物の根の影響を受けている土壌領域を指し、一般的には、根表面から 5~ 20mm の範囲を指す土壌のことで、バルク土壌とは根圏土壌に含まれない土壌のことです。

実験では、まず、根圏を含まない土壌(バルク土壌)を回収・洗浄し、根と根圏土壌を分離し、次に、バルク土壌・根圏の細菌叢をメタゲノム解析(メタゲノム解析とは、細菌も含めて微生物がもつ遺伝子、DNAなどのすべてを抽出・収集し、これらの構造を網羅的に調べ、細菌叢を構成する細菌を解析する手法)し、NB水処理のよる細菌叢の変化を検討しました。対象とした植物体は、花卉農家から提供していただいピッコロイエロー、アルストロメリア(白桃)、リューココリーネラケナリアの4品種です。

写真は、井戸水とNB水に分けて栽培したピッコロイエローとアルストロメリアを示したものです。この写真から、NB水で栽培した2品種は、明らかに根の発育が活性化しており、また、成長も進んでいることがわかります。そこで、この2品種にメタゲノム解析をかけたのです。その結果、NB水処理により成長促進が認められたピッコロイエローでは根圏土壌と根の細菌叢に、アルストロメリアでは根の細菌叢に多様性指数の低下(ある細菌叢が減った)が確認され、NB水は細菌叢に影響を与えた可能性があることが確認できました。しかし、細菌叢の低下が植物成長を促進させたかどうかについては、科学的には証明できないとのことでした。なぜならば、どの細菌叢が植物成長に影響を与えるかが明らかになっていないからです。

この分析をした山本先生にヒアリングしたところ、その後、NB処理した土壌と処理しない土壌で栽培した小松菜、イチゴなどの成長への影響と根圏細菌叢の変化を分析した結果、NB水による根の細菌叢の変化が、植物の成長促進効果として現れるか否かは、植物種や土壌・肥培管理などの環境要因に依存することが示唆されたそうです。この結果から、NB水の植物成長促進効果を引き出すための最適な植物種や土壌などの環境要因の組み合わせを探す必要があるかもしれないとのことでした。

加藤先生の植物におけるNB水とFe(鉄)と吸着関係、および、山本先生のメタゲノム解析によるNB水の植物成長へのプラスの関係は、『オッカムの剃刀』のような単純な論理では説明できず、植物種や土壌などの環境要因の組み合わせと複雑に絡みあっているのです。

この分析結果は、僕がかなりの確率で信じていた「発現する事象は単純な要因で説明できる」という『オッカムの剃刀』とは、まったく別世界の出来事で、その世界は複雑系のカオスの世界―人間がまだ解明できない―だとことを教えてくれたのです。

・・・てことは、皆さんの目の前にある植物の世界は、まったくもって、ミステリアスな世界だっていうことなのです。

 

【プロフィール】
稲田宗一郎(いなだ そういちろう)
千葉県生まれ。小説『夕焼け雲』が2015年内田康夫ミステリー大賞、および、小説『したたかな奴』が第15回湯河原文学賞に入選し、小説家としての活動を始める。2016年ルーラル小説『撤退田圃』、2017年ポリティカル小説『したたかな奴』を月刊誌へ連載。小説『錯覚の権力者たちー狙われた農協』、『浮島のオアシス』、『A Stairway to a Dream』、『やさしさの行方』、『防人の詩』他多数発表。2020年から「林に棲む」のエッセイを稲田宗一郎公式HP(http://www.inadasoichiro.com/)で開始する。

 

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