ダイバーシティー農業

ダイバーシティー農業
「さいたま市で半農半Xをやっている人に原稿を依頼するので事務所で会うけど、稲田さん会ってみない」
出版社の友人から声がかかったので、午前中の仕事を終え、四谷の出版社の事務所でMさんと言う半農半X農家さんにインタビューした。皆さんは、半農半Xという言葉を聞きなれていないと思うので、まずは、この言葉から説明しましょう。皆さんが都会のサラリーマンだとします。だとすると、平日は電車で通勤しながら会社で働き、週末は休むことになります。この週末の休みを郊外の菜園で楽しみながら野菜をつくり、その野菜を売る。これが、半農半X なのです。

<つまり、半農半Xとは、簡単に言えば、チョー兼業農家ってことになります>

Mさんは上智大学の理工学部化学科出身で、大学を出た後、環境計量士の国家資格を取り、環境ビジネスの会社に就職し、水質・大気・土壌等の環境測定をしていたそうです。Mさんの話によると、環境ビジネスの会社と言うとカッコよく聞こえますが、実態は補助金頼みの会社で、ある年、予定していた行政予算がつかず、

―これからどうして暮らそうか?―
と、途方にくれた時があったそうです。

その時にできた人間関係が縁で、農家の師匠に弟子入りし野菜栽培を教えてもらったのが、「半農半X」農家になるキッカケでした。その師匠は、野菜づくりの腕は一流なのですが、いざ「教える」となると、これが、全くNGだったそうです。それを再現すると次のようです。

まず、師匠が具体的な農作業をやってみせます。
「次、さあ、オマエやってみろ」
と言います。
Mさんが手足を動かすと、途端に、
「違がぁあう!」
と大声を出し怒鳴りだすのです。
挙げ句にはてに、Mさんが、どこが違うのかと聞くと、
「オマエは理屈を言うからキライだ、オレは気分が悪いから帰る、明日、また来い」
と言っていなくなってしまうのです。

実は、この経験がMさんに、
野菜づくりの名人でも教える能力は?????なのだから、
―オレが初心者の人に野菜づくりを教えるレッスンプロになろうー
と気づかせてくれたのです。

<世の中、何が幸いするかわかりません>

Mさんはこの師匠から何とか野菜づくりを学び、野菜農家として歩き出そうと考えました。しかし、人の噂では、農家でない人は農地を借りられないとの事です。そこで、Mさんは、自ら農業委員会で確認しました。その結果、「実習実績」があれば、農家として承認してもらえるとの事でした。

その具体的なやり方は・・・・・
<なんて事はなく、単に、「師匠」からハンコをもらってこい>
との事です。

つまり、実習実績が示せれば、必ずしも公的な「就農講座」を出ていなくても、「農家」として認められる可能性があるのです。

Mさんはこの農業委員会の結果に自信を得て、
〇農業とそれ以外の仕事を合わせて生計を立てる半農半XもOKなのか?
〇都内に住み、さいたま市内に通って耕作する事は可能なのか?
と質問したところ、

―必ずしも農業だけで生計を立てる事が出来なくても、農業以外の仕事も合わせて暮らせるならよいー
とのことでした。

現在、Mさんは埼玉県見沼の近くで45aの農地を借りて、米ヌカや牛ふんなどの有機質で野菜を生産しています。なぜ、有機質なのかと言えば、肥料を買うお金を節約できるからです。販売は、野菜5-6品程度のミニミニセット4,980円/月と野菜7-8品程度のダブルセット6,980円/月を、週一回、自分でお客さんに届けているそうです。お客さんは、現在、個人宅やお店を含めて30ほどあるそうです。
また、同時に、師匠との前述した経験を活かし、プロ農家ではない初心者の人に半農半Xになるための農業レッスンをオンラインと対面でやっているそうです。

僕がなぜこの半農半Xの農業を始めたのかと聞いたら、
「稲田さん、成り行きですよ」
と笑って答えてくれました。

―成り行きでは『農の風景』のコラムにはならないなー
と思って困っていたら、

「僕は、もともと、化学系の人間なので、自分で仮説を考えその仮説を実行し、その仮説が収穫と言う結果で検証できる野菜生産が性にあっていたのかな・・・・・野菜の育つ過程そのものが面白いってことかな・・・それが、根底にはあるのかな?」
「なるほど、それって、自分の人生を自分の心でマネジメント出来るってことですかね?」
「そうかも知れないね。今の半農半Xの生活は、自分が与えられたトータルの時間を、自分の心のままに素直に感性に従い過ごすことができるからな」

―M氏との会話はなんだか哲学談義ぽくなってきたのでしたー

「野菜の作り方も、人によって様々ですよ、たとえば、畝の長さだって、師匠は『畝の長さは30mって決まってらぁ』って譲らないけど、僕みたいの半農半Xの農家は10mがやりやすのですよ」
「なるほど、専門のプロ農家と半農半Xの農家とは、技術、たとえば、畝の立て方でも違うんだ。確かにそれはあるかもね。僕の友人のトマト作りの名人の水の切り方や栽培技術は、別の友人のトマト名人とは違うからな」
「そうですよ。稲田さん、国は新規就農、新規就農って、また、栽培技術は『就農講座』で学びなさいって言うけど、彼らの頭の中の農業技術は一つで、それは、プロ農家には合っているかもしれないけど、農業って、いろいろな形があって、自分みたいに『自分の人生を自分のシナリオで生きたい』って人には、必ずしもあっていないのよ」
「なるほどね、お役人さんは、農業って仕事を、身構えて、1つの産業って感じでみているんだね。Mさんの言うような農業も1つの農業って事を彼らは分からないのかもね」
「まあね、誰かが敷いたレールの上を真面目に生きてきたお役人さんには分からないだろうね」
とMさんは言った。

確かにMさんの言う通りだと僕は思った。世界中でダイバーシティー(多様性)が叫ばれている時代と社会では、日本の役人社会や企業風土の中に昔からあるステレオタイプは、もう、通用しない時代になっているのかもしれない。

僕は、帰りによった四谷の鈴傳で一杯飲みながら
―Mさんの半農半Xの生き方は農業の新しいダイバーシティーなのかもしれないー
と思ったのだった。

 

【プロフィール】
稲田宗一郎(いなだ そういちろう)
千葉県生まれ。小説『夕焼け雲』が2015年内田康夫ミステリー大賞、および、小説『したたかな奴』が第15回湯河原文学賞に入選し、小説家としての活動を始める。2016年ルーラル小説『撤退田圃』、2017年ポリティカル小説『したたかな奴』を月刊誌へ連載。小説『錯覚の権力者たちー狙われた農協』、『浮島のオアシス』、『A Stairway to a Dream』、『やさしさの行方』、『防人の詩』他多数発表。2020年から「林に棲む」のエッセイを稲田宗一郎公式HP(http://www.inadasoichiro.com/)で開始する。

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