馬路村物語

馬路村物語

745人、この数字が馬路村の人口だ。この人口は日本で下から30位くらいで、村にはコンビニも信号機もない。こんな小さな村で、50年以上も前から、特産品の「ゆず」を核としたムラ起こしを農協が中心となり展開している。馬路村は、名前のごとく、その昔、馬でしか通れない道しかなかった辺境な地にある。今回は、車で、国道55号線から県道12号線に入り村に向ったのだが、道は徐々に細くなり、右側は安田川の谷で、左側の崖伝いを縫うように進んで行った。こんな奥に人が暮らす集落があるのかと、一瞬、頭をよぎるような地形だ。1台の車しか通れなさそうな道を進む。幸いな事に対向車に出会わず、ようやく集落らしき場所にでた。

県道いにゆずの加工場や集荷用の赤いコンテナが積み上がり、確かに、生産活動が行われている気配がした。しかし、人は見当たらない。

車はさらに集落の奥まで進み、「この奥に温泉があるのか?」と考え始めたころ、目の前に「うまじ温泉」の案内が目に入った。そこを、右折すると右斜め奥に、ログハウスのような建物があった、今夜泊まる馬路温泉だった。

 

翌日は、朝9時に馬路村農協の専務とアポイントがとれたので、ゆず加工品を中心とした「ムラ起こし」について懇談した。現在、農協の販売額は28億円あるとの事だった。
村特産のゆず加工品の歴史をきいたところ、「昔からこの地は、ゆずの産地で、生産されたゆずの実を搾り、ゆず果汁を大手醸造メーカーに販売していた。ところが、昭和50年代の後半、ゆずが大豊作になり、ゆずの果汁は大暴落した。これを契機に、馬路村農協では、自ら加工・製造・販売する道を選択したのです」と話してくれた。

昭和63年に、東京池袋の西武百貨店で開催された「日本の101村展・産品コンテスト」で馬路村農協の「ゆずの村 ぽん酢しょうゆ」が大賞を受賞した。さらに、デザイナーと連携し、ゆず加工品の通信販売に力を入れることを決め、多くのゆず加工品を作るようになった。ゆず加工品を作ることを決めたのは良かったが、いざ、始めてみると様々な問題が起こった。
ゆずの加工品の原料となる「ゆず果汁」は発酵する。発酵すると風味が落ちてゆず独特の味がしなくなると言う課題があった。この発酵を解決するのに、十年以上の年月がかかったとの事だった。また、ゆずを絞ったあとに出る果皮を有効に活用するためには完璧な乾燥が必要だったが、試行錯誤を繰り返し、ようやく、乾燥技術が確立して新たな商品開発につながった。さらに、果皮以外にも残渣や種など多くの課題が出てきたが、残渣は森林組合と連携した「バーク堆肥」を、種は「種と焼酎で作る化粧水」の開発が進み、平成6年には朝日農業賞に選ばれ30年の苦労が報われた。2022年には日本農業賞を受賞した。

また、23年前からは有機農業にも力をいれている。この有機農業も農薬(除草剤)を一切使わないマニュアルに基づいた馬路村独自のものだ。
今では、農協独自のコール―センターをもっていて、ネット、電話、Fax注文に対応している。最近では化粧品工場を作り研究から製造まで行っている。これらの試みの結果、山村に働く場が広がったとのことだった。

最後に、専務がAコープを案内してくれた時に、
僕は軽い気持ちで「Kさん、仕入れ大変でしょうね」
と言ったところ、
「稲田さん、そうなんですよ。全農県本部がこの店に商品を納入するとコスト的に合わないから、撤退すると言われたのですよ。村で一軒のスーパーがなくなると村人が困るってことになり、JAの職員が週一回、村を下り、仕入れに行くことになったのです。おかげで、今では、職員たちの仕入れの目が肥えて、前よりも良い魚があると村人から喜ばれています」
と笑いながら答えてくれた。

僕は、この専務の話の中に、協同組合の原点を見たような気持がし、農協職員のこの姿勢が、村人たちの信頼をつかみ、「ムラおこし成功の原点」なのだと思った。
僕は、専務に、拙書「錯覚の権力者たちー狙われた農協―」を送ることを約束して馬路村を後にした。

おみやげに頂いたカレンダーには、個性的な馬路村物語が語られ、それに似合う絵が描かれたユニークなものだった。東京の自宅には、農協からの「馬路村を訪ねてくれてありがとう」との手書きの礼状と専務からの暖かな礼状が届いた。

 

【プロフィール】
稲田宗一郎(いなだ そういちろう)
千葉県生まれ。小説『夕焼け雲』が2015年内田康夫ミステリー大賞、および、小説『したたかな奴』が第15回湯河原文学賞に入選し、小説家としての活動を始める。2016年ルーラル小説『撤退田圃』、2017年ポリティカル小説『したたかな奴』を月刊誌へ連載。小説『錯覚の権力者たちー狙われた農協』、『浮島のオアシス』、『A Stairway to a Dream』、『やさしさの行方』、『防人の詩』他多数発表。2020年から「林に棲む」のエッセイを稲田宗一郎公式HP(http://www.inadasoichiro.com/)で開始する。

農の風景カテゴリの最新記事